インド最南端(カニアクマリー)

 南インド最南端のカニャークマリーはインド人にはあこがれの場所である。
ここはアラビア海とベンガル湾、インド洋がこの地点で交わるインドの聖地なのです。
インド各地からこの地を求め集まってきます。


子供達も学校行事で、女の子はカラフルでしょう?


そして科学の先端を走る風力発電の風車が並んでいる光景、これもインドです。


でも、自然の爪あとも


ここでの売りは夕日です。
ベンガル湾、インド洋、アラビア海に沈む太陽


私は現地ツアート(リバンドラム聖地めぐり、250ルピー(800円))に参加して訪れた。
H19年11月
でも、このツアーはとてもハードでした(出発時間7:30からホテルに帰ったのは日がとっぷりと暮れていたもの)

アジアの庶民の足はオートリキシャ

 世界で一番楽しい乗り物は、アジアの三輪車!
でも元祖は日本のオート三輪が原点にあるんですよ!
それでは最新型から(香港と韓国には?台湾にもなかったからこのデーターは古いかも?)
チェンマイのトクトク(平成17年6月)
運転手さんは女性です。
格安ホテルからチェンマイ駅まで(タイの三輪車はアジアでは大型でデラックスです)
さすがタイには人力三輪車は無かったです。
でもインドではまだ主流(でもなくなってきている)(ミャンマーではもっと活躍していた)


カルカッタのタクシー、インドのタクシーはイギリスの30年以前のモデルが今だ現役という
クラシックカーフアンにはたまらないかも?


インドでは地方都市でオート三輪車の色が変わります。
これはデリーのオート三輪車、デリーは燃料は天然ガスを使う環境先進都市です。
このスタンドは天然ガス・スタンドなんですよ!


インドでも南のチェンナイではタクシーの色も変わります。


北のパトナではこんな色です。


アジアの旅ではオート三輪はお世話になる私の足です。
でも、この三輪車、最初の難関は価格交渉なんですよねー
特に、大都市は交渉が辛いですが地方都市になると外国人が少ないせいかスムーズです。
インドもデリーよりも地方都市のトリバンドラムでは現地人と同じ価格で乗れたもの!
すごく得した気分に慣れましたが、私は日本では貧乏ですがインドではお金持ちに入ります。
お金持ちはそれなりにお金を払うのがルールなのですがー?
持てる者と持てない者の違いを私達は幸運にも知らないのです。
搾取する人とされる人?

最後にダージリン鉄道のトイトレーン(おもちゃの列車?)小さな可愛い蒸気機関車を


この蒸気機関車、煙を吐いてダージリンでは江ノ電のように町の中を走っている。


インドの地方都市の交通網は現在でも屋根の上も、バンバーの上に荷台にしがみついて
かんな感じで移動している


この多くの人達をインドは受け入れている。
富みと貧困とカーストの中で
豊かさって、大切だと思う。
でも、今の私達、有り余るものをもてあまして生きているのかもしれませんね?
物はある日本ですが、あなたの心の中は満たされていますか?

宮ヶ瀬湖のクリスマスツリー

 今年の宮ヶ瀬湖のクリスマスツリーは10周年記念?とかでいつもの年より迫力がある。
昨日(12/2)の雨の夜ですがきれいでうっとり!

つり橋の電飾が銀河鉄道みたいです。


もう少しアップした銀河鉄道?


雨でつり橋の歩行は禁止されていましたが、天気がよければ通行料は1人300円らしい。



旅が好きなんだー

 平成14年1月に始めてインドに旅した。
初めてのインド一人旅だった。
インドの特急列車(ラジダニー)にも乗ったし、急行は4時間遅れは常識の範囲内?
その日に付けば、目的地に着けばノープロブレム(問題なし)ということなのでしょう。
路上の理容師、欠けた鏡に、カミソリと少しの道具で彼は、ひげをそっているところ
インド・パトナの街角で私は人間のいとなみは?路上にあることを知った。



パトナは好きな町の一つです。
この町はインドの下町が濃縮したミックスジュースの混沌さがあるのですよ!

 平成16年10月にヒマラヤを目指した途中のインドの聖地、ハリドワールド


ヒンズー教の祈りの中で私はなぜか過去に訪れた「富士吉田の火祭り」を思い出していた。

 ラバに乗って4,000メートルのゴームクまでの山道では「この上にカモシカが!」


この水もガンガーに流れているのです。

この山は4,000メートルのガンゴトリーからトポバンに登り初めでまだ雪も降っていないとき
この後から急激に天候が悪化して、途中で登頂を断念した。
もう一度、行きませんか?ここはすばらしい気があるところですよ!


この帰りにインド聖地、リシュケシのガンガーでの夕暮れ
おごそかに、祈りが行なわれる。


とりとめもなく、平成18年にカトマンズーでのマウンテン・フライト
私はフライト大好き!


タイの旧正月の前のチャイナタウン
青龍が主役だもん、ホアラポーン駅からチャイナタウン入り口にで主役のお出迎え


また、旅したくなってきている私です。

インド、シッキムとカースト

インド・シッキム当時はこの地方に外国人は入れなかった。
平成14年1月ダージリン(インドの東北でネパール、チベット、ブータンに挟まれた町)でダージリン・ティーのお茶園の見学に訪れた時、山の向こうはシミコット(チベットとの国境のある街、国境はさらに奥だったと思う)。
当時はインドと中国は険悪(今でも良くなっていないが?)でこの地点は国境警備隊(軍)が激しい検問をしていた。



でも、街から少し離れると自然豊かな心安らぐ風景が心をなごませてくれた。
ダージリンの町はインドを感じさせない不思議な町です。
若者はおしゃれだ(カルカッタでは男は腰巻か女はサリーだったがダージリンは革靴に身体の線がくっきり出るズボンとシャツには驚いた)。
友人のソナムは海外に出稼ぎを夢見ている。と言っていた。
でも、ダージリンもインドの一部です。
茶園のオーナーMr.Parueey Arshad Hussain
彼の住居(奥さん子供はカルカッタで単身赴任という感じですが朝食のメイドさんの給仕は最高でした)


四輪駆動のジープで茶園を案内してもらって彼は私に言った。
ここの見える範囲はすべて私の茶園


さらにここから見えるすべては私のグループの物(彼がボス)


物乞いの「バクシー」とまとわり付くインド
でも、とてつもない富と暮らすリッチマンのインド

平成14年この旅でラジギールのバスストップで合った水汲みの女の子
働き者で水を露天商の店に運んでいた。


平成19年にラジギールを訪れ彼女を訪ねた。
バスストップの連中に彼女の事を訪ねた。
彼らは私にあいまいなことしか言わない。
困った私に、もう一人の子供の写真の父親が
「私はカーストが違うから案内できないがこの道を真っすぐ1kmほど行ったところの部落に住んでいる」と教えてくれた。
周りの連中が
「もう、嫁に行ってるにちがいない。警官やられているんだろう?」
それってどういうこと?
カーストって、私達の想像を超えた世界ということを始めて思いさせられた!
でも、会えたんだよ!
カーストは教育も奪っているので部落の人は英語は話せないので笑顔だけ
でも嬉しかったー

左から3人目が彼女です。
精いっぱいのおしゃれをして、お母さんも(右側の赤ちゃんを抱いた)
このときは本当に嬉しかった。
そして、必要なことはお金も大切だけど教育は子供にとってもっと必要と思った。
私に出来ることは何なんだろう?
おしゃれして彼女

インド・ネパール・バンコック

 平成18年1月に私はインド・デリー→インド・カルカッタ→ネパール・カトマンズー→インド
・デリー→タイ・バンコック→成田の旅をした。
インドのデリーで会った子供達

ここはデリーの田中お上人(私の友人)が仏舎利塔を建設中の現場の近く
公園で会った姉弟

ネパールは戒厳令が急遽引かれ入国は外国人も少なくうろたえる事態だったが?
私の前を、カメラを3台抱え込んだジャーナリストが人がいない繁華街を駆け抜けていった。
そして街は停電だった。
この状態での私は言葉も通じなくパニックの手前まで行っていたのだろう。
その夜、発熱と下痢の洗礼を受けた。

次の日は戒厳令も解かれ旅行者に優しい町に変わった。
カトマンズーは旅行者には優しい街だ。
日本食レストランで食事をするとインドカレー、チャパティー、チャイ懐かしい味から一瞬に内田屋食堂(厚木の定食屋)でご飯を食べている錯覚を起こされてしまう。
バックパッカーが沈没する気持ちが良く分かる。
私はチェンマイの次に好きな町だなー
チェンマイは私のリズムに今のところぴったりだと思っている。
たぶん、時の流れが自分流なのだと思う。
今、気が付いたが大都会(新宿やバンコック、香港、ソウル)はめまぐるしい速度?変化?人の流れ?ネオンの点滅?そして呼び込み?人ごみ?騒音?道路の横断もハード?何よりも身構える私がある。
でも、カトマンズーには流れに身をまかせる私がいる。
緊張感が消えている。
そういえば、インドでもトリバンドラム(南最南端の町)、木浦(韓国本島の最南端)、台東(台湾南東)は南だー
小笠原諸島の父島だって日本の南だー
エー、私は南タイプ?なのかも知れない
生まれたの北海道だからありえるよねー


この写真はバンコック、クワラポーン駅前のポータブル飲み屋さん。
北の町の出発駅(昔の日本の上野駅)では東北からの出稼ぎ者を癒す飲み屋さんが天秤棒とござを抱えて夜な夜な商売を始める。
東北の味を求めて東北から出稼ぎの日雇いの労働者がお国言葉と田舎料理を求めて集まってくる。
その宴会をからかう私がそこにいる。

自分の過去がここにはあるのでしょう。
そう、私は先輩と短大を卒業後、札幌を夜行列車の立ち席で上野駅にたどり着いたのです。
青函連絡船から蛍の光が流れた時、もう北海道には帰れないと・・・津軽海峡を見つめていた。



初めてインド一人旅、出会った友の一人

 平成14年1月12日、私は格安航空券を握り締めてインドに旅立った。
デリーからガヤ→ラジギール→ダージリン→カルカッタと列車や車を乗り継ぎ旅をしてきた。
初めてのインドはデリーの真夜中の暗さと人ごみとインドの臭い(最近はにおいが感じられないのが寂しい、当時はプサンにはキムチのにおい、北京には唐辛子のにおい、台北には八角のにおいがしていた)はサフランと体臭のすえたにおいがしていた。

 カルカッタからの帰り、友人のリーさんにカルカッタの駅まで送ってもらった。
ラジダニー(インドの新幹線かも?)特急でデリーまで帰る寝台列車だった。
その時、隣り合わせたデリーのMr.Kamalakar
今まで会ったインド人で一番のナイスガイ!クールだ!
彼はプロのカメラマン、お兄さんはエアーインディアのパイロットという上流階級の人間です。
その彼でさえ、結婚は両親のお目にかかった人と私に言う。

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私は恋愛結婚、仕事も自由では選べない!あたりまえの世界を見てきたのです。
それから3回もインドにはまって行ってる私って?
幸せって大きな世界にあると思っています。今でも!
でも、小さなコップの中にも幸せってあるのですよね!
チベットとネパール、隣はブータンというお茶の産地のダージリンの山奥で案内人の家族

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こんな山奥に人が住んでいる?
でも小さな幸せがそこにはあるのですよ!
この先は当時はシッキムといって外国人は入れなかった近くでした。

インド最南端で夕日!あなたの物差しは?

 カニヤークマリという町がインド最南端の町
私は平成19年11月この町を訪れた。
私はインド南では大きな町に入るかも?トリバンドラムでインド人の日帰りバス・ツアーに参加させてもらった。
料金は700円程度という信じられない価格だった。
早朝出発、途中ヒンズー神院の観光後お目当てのインド最南端の小さな島に渡る。
この島はアラビア海、インド洋、ベンガル湾がこの場所で交じり合う(ガイドはミーティング)といっていたが私はここの夕日を一目見ようとトラックを改造したようなバスでやってきたのです。
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南インドヒンズー神院は中には女性は入れない。
そして異教徒も、男性も正装(子供達は特別な服を着ていた)上半身は裸で祈るようです。

南インド最南端での花
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そして待ちに待った夕日は
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この夕日が沈み始めると南国の町は活気をミナギ始める
南の生活は太陽は強すぎて活動は死を意味するのです。
北の町とは正反対の生活がここではあたりまえなのです。
窓は明り取りだけの小さな窓、大きいと太陽が入り込んで灼熱の地獄になるでしょう?
そして太陽の出ている間は最小限のエネルギー消費で過ごすのです(昼寝の時間ですね?)
でも、夕日が海に落ち始めると一日が始まる!
生命が躍動開始するのですよ!
子供も女も男も日が暮れるのを待ってぞろぞろと出てきます。
その人達を屋台が夜店がトーチランプで客を呼び込み活気が一気に盛り上がってきます。

太陽が沈み初めて人々が集まり始めた。
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私達は自分の物差しが正しいと思っています。
その物差しは北の住民は南向きの日当たりの良い場所を求めるでしょう?
でも南の物差しでは南向きで日当たりが良く大きな窓は太陽が強すぎて死を意味するのです。
北の物差しは日中何もしないでグウタラしていると怠け者でしょう。
でも、南の物差しは日中活動することは死と隣り合わせですものねー。
南のムスリム(イスラム教徒)と北のキリスト教徒というより北の宗教とは大きな考え違いを初めから秘めているのでは?
イスラムの月とキリストの十字(星)は本当は共に隣り合わせの隣人(夜)なのに?
ガイドのミーティングという言葉が私の胸に突き刺さったトゲのように感じました。
お互いを理解することはお互いを知り合うことなのですねー
私たちに足りないのは相手を思う、思いやりの心でしょうか?
すべてがお金という物差しでは解決はできないと思うのです。
お金に縁の無い私が言うと説得力が無いのが悲しい!
あなたの物差しと私の物差しが正義という言葉にならないように

ネパール・カトマンズー・マウンティンフライト

 平成18年1月22日私はインドのカルカッタから空路カトマンズーに入って3日目だったと思う。
1月20日の戒厳令(マオイストだったと思う)は空港に着いて始めて分かりビックリ仰天!
http://tokoro.sub.jp/tabi/18nepa-ru/0120/180120.htm
22日には落ち着きを見せてはいたが?
この日に夢に見たマウンティン・フライトでヒマラヤをこの目で堪能したのです。
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デジタル計器の操縦席
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エベレストだったと思う

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早朝のフライトだった(気流の関係で朝のなぎを利用してのフライト)

国境

 日本で生活していると国境なんて意識したことが無い。
でも世界は国境はあたりまえの日常生活にさえ入り込んでいる。
平成17年6月タイとミャンマーの国境のあるメーソン
その国境はこの小さな川の中央が国境ラインらしいP6130087.jpg
右側がミャンマー、左側はタイ。
ある日突然、あんたは左側にいたからタイ人。
あんたは右側にいたのでミャンマー人。
同じ親戚なのに、家族なのに、兄弟なのに。
別れ別れになってしまった。
でもここの国境はちょっと隣という感じで行き来しているらいいけれど?
ひとたび何かあれば!
平成21年2月韓国板門店
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この旗の左側は韓国、右側は北朝鮮
朝鮮半島の国境は鳥と小動物たちだけが行き来できる地雷がばら撒かれた恐怖の国境です。
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北朝鮮のシンボルの鉄塔が、人間のおろかさの象徴ように私は見えた。
ある日突然、引き裂かれた家族、兄弟はいつ会えるようになるのだろう?
人の幸せをもて遊ぶ国境、人類に本当に必要なものは自由なんだろう
でも、お互いの思いやりが欠けると不幸が始まるのでしょうか?
国境、お前はどんなに涙を流させたの?これからも涙を流させるのですか?


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