鮭が海から川へ

知床半島の羅臼岳登山をあきらめ、いま知床に来ている。
中学の同窓会で友から知床のサケの遡上はすごいと聞かされてはいた。
妹夫婦に車で案内されて遠音別川の河口に来た。
河口は海でサケを待ち構える釣り師たちがサケを狙っている。
波間にサケが群れているのが見える。
釣り師の一人がサケを釣り上げた。
方向を変えて遠音別川をよく見るとサケが川の水になじむためか群れを成してとどまっているのが見える。
ここの川の上流で誕生した数多くのサケの子のたった一握りの幸運な君たち。
この川で卵を産み受精をのためにはるばると気の遠くなる航海をして戻ってきた君たち。

人間の欲望を満たすために戻ってきたのでは悲しすぎる。

羅臼岳2015/10/5

中学の同窓会を旭川でするという。
先月、高校の同窓会で札幌に来たばかりなのにね〜
また、LCCピーチの成田空港発 千歳空港行を8月ごろに5000円で購入済み
旭川市の同級生のホテルが集合場所です。
来年は70才になる私たちは55年近くの再会の友も多い。
という私のもう一つの目的は羅臼岳登山なのです。
あこがれの羅臼岳、南は鹿児島の開聞岳は2009年9月に登山済みです。
中央の富士山は何度か登っているので北の羅臼岳は私にはぜひ挑戦したい山なのです。
そうすると北からの気の流れが羅臼岳経由でいいのでは?と勝手な思い込みが私にはあるのです。
私は神奈川県厚木市が住まいなので北からの気→羅臼岳→富士山→大山の下の厚木
南からの気はボルネオ島キナバル山(帰りは靴が壊れてメロメロだったけど)→開聞岳→富士山→大山
と?
ピーチは機内持ち込みの制限があり長さが63Cmの私のストックは持ち込めないので分解して55Cmに短くして持ち込みました。
ピーチは千歳着がPM5時過ぎなので札幌のカプセルホテルで宿泊3000円で高校の友人と食事をしました。
ビールで乾杯、次に芋焼酎のお湯割りを何杯も〜とホッケの開きはうまかったです。
今回は千歳空港駅の緑の窓口で「大人の休日」を利用し千歳空港駅から北見までを4880円だったかしら札幌→北見は4日間途中下車有効の切符を購入しました。
私の妹夫婦が北見在住です。
妹のご主人に協力してもい羅臼岳の登頂をもくろんでいたのですが?
同窓会でお酒をたっぷりといただき(その前の日も札幌で芋焼酎のお湯割りを)、北見でも歓待を受けすっかりアルコール漬けの私。
以前もそんなことがあったような気が?
妹とご主人が羅臼岳を見るだけで我慢しなさい!といって車で知床峠まで一緒にドライブ(ご主人運転)し私は知床峠までやってきました。
え〜、これでいいの〜

北海道は広大だね〜広大な畑の真ん中を一直線にのびる道路


知床半島の最後の起点となるウトロ オホーツク海


紅葉の中を羅臼岳が見えてきた(頂上は冠雪している)


知床峠からの羅臼岳 手の届きそうなところにあるというのに 見るだけの私


知床峠からの国後島


キタキツネが道路を歩いていました(小鹿は撮影に失敗)


そして女満別で妹旦那さん推薦(一心 )の醤油ラーメン680円


女満別空港からシニア割引にてAIR DO羽田行13,090円にて帰ってきました。
家族には何しに北海道に行ったの?いわれる私でしょう。
 

うまくて安いアジアの屋台の選び方

東南アジアは食の宝庫だ
今回はうまい屋台のさがし方を老人バックパッカーの私が伝授します。
  1. 混んでいる店で並んで待つ
  2. みんなが食べる時間帯に食べる
  3. 一番多く食べている料理を指さす
1.混んでいる屋台は入りにくいので避ける人が多いが並んでいると店員や人のいい客が手招きして席(相席だけど)を確保してくれる。
2.食事の時間帯は重要で炭や練炭やコークスで調理している屋台もあるし食材もその時間に合わせて切り分けしている。
時間を間違うと手早く強火で料理できなくうまい店でもまずくなる。
3.初めての屋台ではおいしく安い一番人気はやはりうまい。

 アジアの屋台には4種類の調味料が必ずおいてある。
砂糖、唐辛子、酢(酢の中に香味料が入っている場合が多い)、ナンプラー(魚醤油)の4種類
これに豆板醤のような辛いのや数種類のナンプラーを別途おいてあるところもあり
また、生野菜(パクチー、バジル、香味野菜)が付け合せで出る場合もあり
 見ていると砂糖をかける人が多いのに驚く。
私は酢とナンプラーに少々の唐辛子をふりかけるのが好き。

(3種類のナンプラーとライムと砂糖に唐辛子に酢の豆板醤も)
 学校の近くには屋台が必ずといっていいほどある。
学校の近くの屋台もうまい。
ただ、ビールは置いてないのが難点
東南アジアは暑いからビールは水替わりでうまいのだ(日本のビールよりアルコール度が低いのであまり酔わない)
学校の屋台のうまさは旅好きの日本人に教えてもらったが子供たちが食事は屋台で食べることが常識な世界なので確かにうまい。

(そういえば料理は家の中でするのではなく外でまな板をだし火チリンで料理している家庭は普通に見られるもの)
屋台で食べる習慣が根付いているから安くてうまいのは当たり前なのかも

バンコックのチャイナタウンの海鮮屋台で混雑しているが待っていると店員が相席だけど案内してくれる。
そして私はもぞもぞと旅をしたくなってくる。
安宿に泊まってバスに乗って屋台で飯を食い出会いがあって小さな感動に心をときめかせるのです。

ラオス・ルアンババーンのメコン川の船着き場にて

スローボートからパクウー洞窟を見た(メコン川)

2015/6/18
メコン川を2日間かけてタイの国境(フェイサイ)からルアンババーンに向かっている。
スローボートのエンジンは30年近くはたっているだろう日本のISUZU製のトラックのエンジンがこれでもか?とうなっている。
でもスピードはゆったりとメコンの流れに乗って進んでいる。
(ISUZU製のかなりの年代物のトラックのエンジンがうなりをあげているが速度は出ない。大きな船に小さなエンジンという感じだ)
スローボートの乗客は欧米人+私とみわさんに数名の現地のラオスの人は後ろの船員の部屋でいっしょに

欧米の人は船旅にあこがれを持っているらしい。ほとんどが若いバックパッカー
この船がルアンババーンにもう到着という時に右側にパクウー洞窟が現れた。
YouTubeでパクウー洞窟とメコン川を

のんびりとゆったりと船旅はいいもんです。

タイ式ボクシング2015/6/15

2015/6/15
チェンマイの街をブラリぶらぶらとナイトマーケットをあちこちと雨宿りをしながら夕飯はキッチンレストラン(お気に入りの食堂)で食べようと来てみると停電で店の中は暗くて暑くて・・と外のテーブルて食べている。
バイクに乗った兄ヤンが大声で叫びながらチラシを私にさしだしてボクシングのポーズをとる。
ナイトマーケットでもスピーカーからボクシングの試合の案内を流していた。
いつもはボクシングには無関心な私なのに・・急に興味がわいてきて・・・
行ってきました。
タイ式ボクシングを堪能してきました。
女子の試合をYouTubeでちょっとだけ

熱気にあふれるボクシングスタジアムです。
 

ルアンババーン(ラオス)僧侶の托鉢

ルアンババーンはラオス第2の町です。
2016/6/18にメコン川をタイ国境ハイサーイの町から船(スローボート)で1泊2日をかけてルアンババーンに到着しました。
6/19 AM5:50 ナイトマーケットから少し入ったところで托鉢のようすを撮影しました。

チェンマイの町のようす

チェンマイのマーケットをソンティック(乗合自動車)の助手席から撮影
チェンマイはタイ北部の一番大きな町です。
城下町で城壁と堀とお寺の多さで有名ですが食事も大変うまいところです。

良い旅ができますように(*^_^*)

人種差別(カースト制度)

日本では人種差別はないという。
でもどこの世界にも隠れた差別はある。
 役人や金持ちに媚びを売る人、外国人(アジアやアフリカ)を蔑視する人。
 子供たちの集団のなかでも目に見えないいじめが悲劇を生んでいる。
でも、インドでは差別が公然と行われているのだ。

インドを訪れると初めに目にする路上生活者に驚きその場で帰りたくなる旅人もいるということをよく聞く。

 平成14年インド・ビハール州パトナでの路上
 衣服といっても布地1枚ではあるが、食にもかろうじて、寝るところは路上で屋根があればありがたいという生活です。
夜は街灯も暗く牛がのさばり混雑していて不衛生で手でものを食べるインド人。
 混雑と騒音、混沌とした路上に牛がのさばり屋台が路上を占拠しオート三輪がピー・ピーと警笛を鳴らし大声でも呼び込み人も車も荷馬車も何もかもが混在して通りを埋め尽くしているのだ。
平成19年インド・デリーのメインバザール
この混沌さが私にはおもしろい。
 警笛や呼び込みの騒音、屋台のチャパティーを焼く香りとカレーの香りにチャイ屋の誘惑、狭い路地を人や牛とぶつかりながら歩く。
 旅人の私はこの空間がたまらなく好きなのです。

私はインド・ビハール州である家族を訪ねたことがあるがカーストの低い人々の生活は町はずれの隅に追いやられた部落の中で生活していた。

平成14年1月 インドビハール州のラジギールのバスストップで水運びでお金を得ていた少女

 働き者で水場でも大人に交じって水場を取り合うたくましい少女だった。
アジアのバスストップは旅人や行商人ばかりでなく人々が集まる市場や食堂、雑貨屋にお土産屋と混雑と生活の匂いのする旅する者にとっては愛する場所でもある。
このラジギールのバスストップは前に温泉施設もあり湯治に来る客でごった返す時間もあった。
その中でこの少女は大人たちに交じり店に大声で人をかき分け水を配っていた。
このたるに一杯の水の重さを思うと大人にとっても重労働であることは確かでしょう。
 水場と店を何度も何度も行き来する少女
 小学生の4年生か5年生ぐらいかしら?
学校にも行かずに仕事をしている子供はこの子だけではなかった。
 
平成19年にラジギールを再び訪ねた。
 気になっていた少女は今はどうしているかラジギールのバスストップで少女の消息を訪ねまわった。
バスストップで仕事をしている人たちは少女がどこにいるかを知っているはずだがかかわりを避けて返事をしてくれない。
 教えてくれた男はその当時取った子供の写真の父親だった。
 男も案内はできないという。
バスストップから1Kmぐらいの距離らしく一本道だから迷うことはないとわかる。
 大よその場所で訪ねるが英語が通じないことが分かる。
 車で通りかかった男が通訳してくれる。
 場所が分かったが男は中に入れないという。
カーストが人々を苦しめていることは以前来た時でもカーストが違うと食事も一緒にはしない。
カーストにより職業も決まっていることぐらいは知っていたつもり。
 現実は強烈だ!仕事の差別だけでなく教育も奪い(文字が読めない)しかもその人たちとのかかわりも拒む。

平成19年、5年後の少女(私のために精いっぱいのおしゃれをしてくれた心遣いがうれしい)

私が部落の中に入り子供たちに昔の写真を見せると大騒ぎで走り出す。
 少女はここに居るらしい。
 子供たちと遊びをしながらかなり長く待たされる。
 少女が目いっぱいのおしゃれをして私の前に現れた。
お母さんも一緒だ。

この人たちがカーストから抜け出すにはヒンズーからの離脱しかないという。
カルカッタでは離脱しムスリム(イスラム教徒)に改宗した人たちを見た。
車引き(リキシャ)の人たちのグループ
メッカに向かって祈りの時間

平成14年カルカッタ モスクから大音量のコーランが流れている
右側の塔がモスクでモスクに入れない人々が人力車を道路に止めて道路を封鎖し路上に座りメッカに向かってお祈りをしていた。
車も人たちも礼拝が終わるのを待っている。
礼拝が終わると何事もなかったように車も人も動き出した。
インドの人口と経済工業力を考えるとカースト制度は認めざるを得ないという考えもあるらしい。
すべてのインド人が当たり前の食事を職業も自由にしたらインドの食料と経済は枯渇するだろうという理論だ。
そのための犠牲であるならあまりにも悲惨な制度です。
今も生きているカースト
(法律ではカーストは禁止されたはずだが現実には社会に根を張り巡らしているインドの文化といえるでしょう)

インドの時間の感覚

インドは不思議な国だ。
インド鉄道は4時間ぐらいの遅れは別に驚くことではない。
エアーインディアだって定刻で飛ぶ方が不思議だ。
仮眠が必要でホテルに連れて行かれる羽目になったり、インドの旅行会社の友人から欠航らしいと連絡があり地下鉄でエアーインディアの本社に乗り込んだり(結果は違う便のチケットに変更で終わり)と散々な目にあっている。
そしてインドは広い、北はヒマラヤから南は赤道に近い海を挟んでスリランカとモルジブ。
西はパキスタンと中国の入り乱れた国境、東は紅茶で有名なアッサム、バングラディシュとミャンマー、さらに不明な国境の中国と接している。
インド国鉄は特急列車が最優先、次に急行列車、普通列車は定刻なんでないに等しい。
普通列車なんか、その日に着けばラッキーという感じでしょう。
そういえばインド国鉄自慢の特急列車ラジダニーが終着カルカッタに2時間遅れだったことも。
ところが南の小さな町のトリバンドラムではバスが定刻に出発するのです。
ここではインド時間が通じない。
このトリバンドラムで私はインド最南端のインド洋とベンガル湾とアラビア海の交わるかニャークマリ(コモリン岬)の現地ツアーバスに申し込んだ。
驚きは250ルピー(約400円)という安さよりも出発時間厳守だった。
トリバンドラムからカニャークマリまでは200Km以上ありそう。
帰りは夕刻の予定です(7:30発で21:00着で帰りは夕刻で時間内にトリバンドラムに帰ってきた)
途中のヒンズー寺院見学と宮殿見学の見どころも出発時間を指定されているので数分前にはみなさんしっかりバスに戻ってきます。
得体の知れな外国人(私のこと)が迷わないように私の後ろをバス会社の人が付いてきたけれど。
ここで初めてインドバナナを食べた。
今まで、タイでもバナナなんかいつでも食べれると思っていたのであんなもん?という感じだった。
一緒のツアーに参加していたインド人が少しピンク色したのがうまいというのでそれを購入。
「えっ!カチカチに硬いんだよ!」
こりゃ、蒸していない芋だね!
ほんのり甘いけど生芋をかじっている感じに驚いた。
日本のバナナとはえらい違いだ。
そういえばバンコックで焼きバナナを売っていたのを思い出した。
現地で食べるバナナは芋のように固いのですよ

皮をむくにもはがすような感じです。
インド最南端のコモリン岬

コンクリートでしっかりと盛り上げていました。
そしてお目当ての夕日は

この夕日がこのツアーの目玉です。
インド最南端のカニュークマリはインドの聖地ですからインド人観光客も多くおめかししてここに来ています。

サリーもカラフルです。
そしてバスは時間厳守で帰りもぶっ飛び走ります。
ちゃ〜んと21時前にはトリバンドラムに到着しました。
やればできるじゃん!
日本時間で運行ピース

海の民(ケラム島)と子供のころの思い出

  2012年2月ボルネオ島コタキナバルに着いた。
 エアーアジアを利用しボルネオ島の南アジアでは最高峰のキナバル山(4095M)登山が目的だったのです。
飛行機から見るボルネオの海はコバルトブルーに輝いていた。
小笠原諸島の父島の海と同じ色をしている。
コタキナバルは最近ではTPOの舞台になったボルネオ島では最大の町です。
都会だよ!
でも、コタキナバルの町の海からは対岸に海上にせり出して海の上に住んでいる人々が見えるのです。
この人たちはなぜ?陸に住まないの?対岸にはうっそうとしげるジャングルがあるのに?
この人たちの生活を見たいと思ったのですが、私の第一の目的はキナルバ登山です。
対岸をタイガービールを飲みながら夕日が沈むコタキナバルで私は中国人に間違えられながらも、キナバルを夢見ていた。
海の民の知識が全く欠落してたしね


 キナバル山登山は靴のカガトがはがれるアクシデントで私の足はもう、ミジメ惨敗の足になってしまった(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
 ボルネオ島のサンダカンの町に逃避した私。
この町は小さな町なのでよれよれの私の足にはぴったりの大きさなのよ!(^^)!
でもここでも海に木の杭を打ち込んでその上に家を建てた集落が広がっている。
この人たちはなぜ?陸に住まないのか不思議だった。
ここの町はフィリピンに近くミンダナオ島にフェリーボートで往復できる。
足が自分の足になっていたら、ミンダナオ島に渡っていたかも
でも、ここの海はフィリピンのイスラム武装勢力(過激派)が出没する魔の海峡らいいけど?
現実にミンダナオ島では政府軍との激しい戦いが最近あったばかりです。
この人たちは小島が連なるスルー海から宗教上の理由や民族紛争の理由でこの地に住みついたのでしょう。
陸地でないからここのボルネオ島はマレーシアになるのですが海の上ならマレーシア人ではないし?納税義務もないかも?
サンダカンには2つの警察があって海の警察は大きくて人員も多いです。

コタキナバルから対岸に渡る海のタクシー


 大好きなサンダカンの町で私の足は自分の足に戻ってきたみたい。
欲張りな私はもう次のことを考えていた。
マレーシアのジョホール・バルに行こう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 すっかり、海の民を忘れた私はクワランプールで海に行きたくなったのです。
クワランプールから電車に乗って海に着き、ファーリーボートに乗ってケラム島に来てしまったわたし。
(ポートクラウンからケラム島に渡るフェリーボート)

海はボルネオの海とは違います。
コーヒー色のプランクトンがたっぷりの豊饒の海です。

ムツゴロウがわが物顔で、カニも負けずに大きな目を飛び出して
ケラムはカニの意味らしい

杭の上に集落があるのがわかるかしら?

ケラムに着いた私は自転車で集落を走り回った(レンタルサイクル)
集落の中央には神様が鎮座している。

 海の神様なのでしょうね
とても大切にここの神様はしたわれています。
人通りの多いところ(たぶん中心部だと思う)は杭もコンクリート杭で道もコンクリートだったが少し外れると板の道路になる。

ケラム島には自動車はない。
荷物は手押し車で運ぶ。


そして何よりケラムに来たらカニを食わなくっちゃ!
チリクラブよ!大変おいしくいただきました。


 カニを食いながらちょっとビールを飲んで私は人々の生活を眺めている。
旅人目線だけど感じるのは海とともに生きているということ。
生活は海がすべて、この人々に海が恵みを与えているのです。
魚を取り、カニを取り、貝を取り、海の上で結婚し、海の上で子供を育て、海の上の学校へ通い、海の上で恋をして、そして海の上で看取られて、海がすべての生活

 私は父の仕事(教師)の関係で転勤が多く、私は小学生のころ山奥の開拓地でランプ生活の経験がある(電気が来ていない)。
ここの民は山が生活のすべて、北海道の山奥の冬は吹雪とシバレル(方言でめちゃくちゃ寒いという意味)生活は厳しい。
食料も食べつくすと飢えの生活が待っている北の大地の冬は無常でやさしさのかけらもない
ネコヤナギが芽吹き、フキノトウが顔を出すと一気に雪解けが始まり、山菜の宝庫になる。
冬を耐えて春を待つ山の民
嵐に耐えてなぎを待つ海の民
その生活は過酷であることには違いがないのだろう。
私は感受性の豊かな小学校時代の開拓地の思い出が今も一番懐かしい
つらい生活だったのに不思議です。
今でも父とよく話す開拓地の思い出
灯油ランプのホヤ(ガラスの筒)みがきが小学生の小さな手の私の仕事だった。
その小さな明かりだけが長い冬の夜の家族のきずなを深めたのかも?
海の民の嵐は杭の上の家などひとたまりもないでしょう。
海は障害物がないから風は陸の何倍も威力がある
その嵐が過ぎるのをみんなで助け合って忍ぶのでしょう
小さな船で沖に出ている男達を案じて

南の海の民の 海から離れない生活が帰りのフェリーボートから何か切なくて、やさしくて・・・
旅人は子供のころの開拓地を思い出していたのです。
ランプの燈火はボーット明るく暗闇をほんのりと染めて切なくて、やさしくて・・・

 


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